導入|この絵をどこかで見たことがある人へ
木漏れ日のような光の粒が、踊る人たちの肩や帽子の上でちらちら揺れている。
そんな絵を、教科書やカレンダー、SNSのどこかで見た記憶がある方もいるのではないでしょうか。
それがルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」です。
タイトルは長くて覚えにくいのですが、知っておくと美術館や会話の場でちょっと役に立つ一枚だと思います。
この記事では、この絵が何を描いたものなのか、なぜそんなに有名なのか、誰がモデルになったのか、そしてあまり知られていない「もう1枚」の物語まで、いくつかの角度から紹介します。
これは何を描いた絵?|モンマルトルの野外ダンスホールと日曜午後
ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会

「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」は、ルノワールが1876年に描いた油彩画です。画面のサイズは131cm×175cmと、かなりの大作になります。
舞台は、パリのモンマルトル地区にあった野外ダンスホール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」。
そこに集まった人たちが踊ったりくつろいだりする、日曜午後の様子が描かれています。
現在は、パリのオルセー美術館が所蔵しています。
1896年からはリュクサンブール美術館、1929年からはルーヴル美術館に展示され、1986年にオルセー美術館へ移りました。
わたしなら、この絵の前に立ったらまず光の粒を目で追ってしまうと思います。
木々の間から差し込む陽が、人物の背中や帽子の上でまだらに揺れている、その表現がこの絵の一番の見どころだからです。
なぜこんなに有名なの?|屋外で人だかりを描くという挑戦

この絵がこれほど評価されている理由の一つは、屋外でこれだけ多くの人物を含む複雑な構図を描いた、当時としては最初の大作とされている点にあります。
アトリエの中でモデル一人をじっくり描くのと、木漏れ日が刻一刻と変わる屋外で大人数の群像を描くのとでは、難易度がまるで違います。
光は動くし、人も動く。その一瞬をキャンバスに定着させる試みだったわけです。
作品の特徴は、「形の豊かさ、流れるような筆致、木漏れ日のようにちらつく光」です。
輪郭をくっきり描くのではなく、光と影のゆらぎで人物や空気を表現しているところに、この技法の面白さがあります。
この絵は1877年4月、第3回印象派展に初めて出品されました。この展覧会は、印象派という運動が広く世に知られるきっかけの一つになりました。
ルノワールという画家自身については、こちらの記事で詳しく解説しています。
描かれている人たちは誰?|モデルは画家仲間や友人だった
この絵に描かれている人たちは、実は見知らぬ他人ではありません。
手前で青とピンクの縞模様のドレスを着た女性は、女優ジャンヌ・サマリーの妹エステルがモデルとされています。
ほかにも、画家仲間のノルベール・グヌットやアンリ・ジェルヴェックス、批評家のジョルジュ・リヴィエールなど、ルノワールの周りにいた人たちが次々とモデルとして描き込まれています。
モデルは実在の友人たちだったとされていますが、自然な集まりをそのまま描いたのか、意図して配置されたポーズだったのかは、はっきり分かっていません。
実はもう1枚ある|小さいバージョンと7810万ドルの落札劇

あまり知られていないのですが、ルノワールはこの絵と同じ構図で、ひとまわり小さいサイズ(78cm×114cm)の作品も描いています。
この小さいほうの作品は、1990年5月17日、ニューヨークのサザビーズのオークションで7810万米ドルという価格で落札されました。
落札したのは、日本の製紙会社・大昭和製紙の名誉会長だった齊藤了英氏です。
齊藤氏は同じ1990年5月に、ゴッホの「医師ガシェの肖像」も8250万米ドルで落札しています。
ちなみに、どちらのバージョンが先に描かれたのかは、はっきり分かっていないそうです。
わたしとしては、同じ構図の絵が2枚存在するというだけで、なんだか想像が膨らみます。
ルノワール自身も、この日曜午後の光景がよほど気に入っていたのかもしれません。
まとめ

「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」は、モンマルトルの野外ダンスホールに集まった人たちの日曜午後を、屋外の光とともに描いた一枚でした。
描かれている人たちが画家仲間や友人だったこと、もう1枚の小さいバージョンが7810万ドルという価格で落札されたことは、この絵にまつわる印象的なエピソードです。
そんな背景を知っていると、この絵を見かけたときの見方が少し変わってきます。
タイトルは覚えにくくても、木漏れ日と人だかりの絵、として思い出してもらえたらうれしいです。


