モネやルノワールの絵の隣に、ドガの絵が並んでいます。展覧会でそんな場面に出会うと、なんとなく空気が違う気がしませんか。
わたしがそのことに気づいたのは、原田マハさんの短編集『ジヴェルニーの食卓』を読んだときでした。
印象派の画家たちを描いた短編が並ぶ中に、ドガを主人公にした一編があったんです。
読み終えて、ずっと感じていた違和感の理由が、少しわかった気がしました。今日はその理由を、ドガの人生をたどりながら考えてみます。
「印象派っぽくない」と感じてもいいんです

正直に言うと、わたしは長いあいだドガが苦手でした。
印象派と聞いて思い浮かべる、明るい色や輝く光が、ドガの絵にはあまり感じられなかったからです。
モネの睡蓮のような、きらめく屋外の光。ルノワールの、幸せそうな人々を照らすやわらかな日差し。ドガの絵には、そうした要素があまり出てきません。
ドガの絵は、色が地味で、室内の場面が中心なんです。最初、わたしはそれを物足りなく感じていました。
でも、その違和感を持つのは自然なことです。ドガを「印象派っぽくない」と感じるのは、とても正しい感覚なんです。
なぜなら、ドガ自身が、その他の印象派の画家たちとはっきり違う道を歩んでいたからです。踊り子への執着も、その違いと深くつながっています。
なぜドガは踊り子ばかり描いたのか

ドガの作品には、バレエの踊り子を描いたものが数多く残っています。稽古中の一コマや、舞台袖で出番を待つ姿など、そのモチーフは多彩です。
なぜここまで踊り子にこだわったのか。理由のひとつは、彼がバレエの舞台裏(稽古場)に日常的に出入りできる立場にあったことです。
当時のオペラ座は、限られた人だけが稽古風景を見られる、特別な場所でした。ドガはそこに通い、練習中の何気ない一瞬をスケッチしていたのです。
ドガが本当に描きたかったのは、光そのものよりも、一瞬の動きや姿勢だったのではないでしょうか。
伸びをするしぐさや、疲れて座り込む姿。華やかな舞台の裏にある、生身の身体の記録です。
ドガが描き続けたその場所には、もうひとつの側面もありました。当時のオペラ座には「アボネ」と呼ばれる定期会員がいて、舞台裏や稽古場に自由に出入りできる特権を持っていたのです。
出演する踊り子には、貧しい家庭出身の少女も少なくなく、「プティ・ラット(小さなネズミ)」と呼ばれていました。
アボネの中には、そうした若い踊り子に不適切な関係を迫る者もいたことが、当時の社会問題として指摘されています。
ドガ自身がそうした行為に関わったという確かな記録はありません。ただ、彼が繰り返し描いた稽古場という場所には、華やかさと影が、いつも隣り合わせだったのでしょう。
舞台の上の華やかさだけでなく、その手前にある稽古や準備の時間、そしてそこに漂う空気。ドガはそこに、繰り返し描くだけの理由を見ていたのかもしれません。
なぜ「印象派の異端児」と呼ばれるのか

ドガは、印象派の展覧会にたびたび作品を出品していました。ですが、仲間の画家たちとは、絵の描き方が大きく違っていたんです。
モネやルノワールたちが夢中になったのは、屋外の刻々と変わる光でした。日の光の下、同じ景色を時間ごとに描き分けるようなことさえしています。
そう考えると、ドガの絵だけほんの少し薄暗く感じられたのも納得です。
わたしはそこに、仲間とは違う道を選んだ意志のようなものを感じます。
一方のドガは、屋外制作をほとんど行わず、室内やアトリエでの制作を好んだ画家でした。
踊り子たちも、劇場のガス灯や人工の明かりの下で描かれています。
光の移ろいを追いかけるのではなく、人工の光の中で、動きや構図をじっくり組み立てます。それがドガのやり方でした。
もうひとつの特徴は、当時登場したばかりの写真や、日本の浮世絵から影響を受けていたことです。
人物を画面の端で切り取るような、大胆な構図を積極的に取り入れました。
さらに興味深いのは、ドガ本人が「印象派」と呼ばれることを好まなかったという逸話です。自分では、写実を大切にする画家だと考えていたようです。
光を追う仲間たちの中で、ひとりだけ違う場所を見つめていた画家。それが、ドガが「印象派の異端児」と呼ばれる理由です。
印象派そのものの成り立ちや、他の代表画家との見分け方については、印象派とは何か?の記事にまとめています。
代表作を一点、じっくり見てみる
ここでドガの作品を一点、じっくり見てみたいと思います。選ぶのは、踊り子を描いた代表作のひとつ、『エトワール』です。
舞台の上で、ひとりの踊り子がスポットライトを浴び、優雅にポーズを決めています。画面の中心を大きく外した構図が、この作品の特徴です。
踊り子の背後、書割(舞台奥に置かれた背景画)の陰には、黒い服を着た人物がぼんやりと描かれています。
舞台裏への出入りを許されていた、当時の裕福な支援者(アボネ)のひとりではないかと言われています。華やかな舞台の裏側にあった、もうひとつの顔を感じさせる存在です。
舞台の中心で輝く踊り子と、その端にひっそり佇む人物。画面の中心を外した大胆な構図に、ドガらしいまなざしを感じます。
踊り子をモチーフにしたのは、絵画だけではありません。ブロンズ彫刻『小さな十四歳の踊り子』も、ドガの代表作のひとつです。
実在の踊り子見習いをモデルにしたとされ、発表当時は本物の布や毛髪を使った生々しい写実表現が、物議を醸したと言われています。
実際に鑑賞するときは、踊り子だけでなく、画面の端や背景にも目を向けてみると新しい発見があります。
ドガが切り取った、舞台のもうひとつの物語が見えてくるはずです。
最初の一歩は、一冊の本から

ここまで読んで、ドガのことが少し気になってきた方には、原田マハさんの『ジヴェルニーの食卓』をおすすめしたいです。
印象派の画家たちの人生を、短編小説というかたちで味わえる一冊です。ドガを描いた一編を読むと、この記事で触れた「異端児」らしさが、また違う角度から見えてくると思います。
身構えなくても大丈夫です。ページをめくるうちに、ドガのことがきっと好きになっているはずです。
ドガの絵が放つ、あの独特の静けさ。それは、彼が仲間と違う場所を見つめ続けた証なのかもしれません。
『ジヴェルニーの食卓』のページをめくったあの日から、わたしにとってドガは「なんとなく苦手な画家」ではなく、「静かに一瞬を追いかけた画家」になっています。
今度、印象派の絵が並ぶ場所に足を運んだら、ドガの絵の前で少し足を止めてみませんか。


