「色は鮮やかだけど、どこかふわっとして儚い。きれいな女性がたくさん描かれている」
わたしが印象派の絵に対して抱いていた印象は、たぶんこのひとことに尽きます。数年前、ある展覧会でルノワールの絵をまとめて観たときも、最初はそんな感想でした。
でも、会場を歩いていて一枚だけ、足がぴたりと止まった絵がありました。
《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》
パリの野外ダンスホールで、人々が踊ったりおしゃべりしたりしている、にぎやかで楽しそうな一枚です。気づいたら、その絵の前だけしばらく動けずにいました。
今日は、そんなルノワールという画家について、わたしが調べていて「なるほど」と思ったことをまとめてみます。
特に、印象派を知り始めたころのわたしがずっとつまずいていた疑問にも、ちゃんと答えを出したいと思っています。
ルノワールってどんな画家?

まず、ざっくりとした人物像から。
- 1841年、フランスのリモージュという街で生まれました
- 画家としてのスタートは、実は磁器の絵付け職人でした
- 生涯を通じて「幸福」や「喜び」を描き続けた画家として知られています
このあと、この3つを手がかりにしながら、ルノワールの人生を順番にたどっていきます。
磁器に花を描いていた少年
ルノワールが生まれたのは、仕立て屋を営む決して裕福ではない家庭でした。
13歳ごろから、家計を支えるために磁器の絵付け職人として働き始めます。お皿やカップに、花や小さな模様を描く仕事です。
わたしはこのエピソードを知ったとき、腑に落ちる感覚がありました。
ルノワールの絵の、あの明るい色づかいや、装飾的で華やかな雰囲気は、この修行時代に育まれたものだったんだなと。
絵の具を扱う技術も、色の感覚も、少年時代の手仕事の中で培われていったのだと知って、わたしは代表作をあらためて見直したくなりました。
その後、画家を志したルノワールは、シャルル・グレールという画家のアトリエで絵を学びます。
ここで出会ったのが、クロード・モネ、アルフレッド・シスレー、フレデリック・バジールといった、のちに印象派と呼ばれることになる仲間たちでした。
モネと並んで描いた、あの夏

わたしが印象派を知り始めたころ、ずっとよく分からなかったことがあります。
モネとルノワールって、結局どういう関係だったんだろう、ということです。
同じ時代に、似たような絵を描いていたのは知っているけれど、お互いにどう影響し合っていたのかが、いまいちつかめずにいました。
その答えのひとつが、1869年の夏にあります。
当時、モネとルノワールは、セーヌ川沿いにあった水浴・行楽場「ラ・グルヌイエール」に並んで座り、同じ景色を描きました。
この夏の制作の中で形をとっていったのが、絵の具を混ぜ合わせず、色をそのまま並べて置いていく描き方——筆触分割と呼ばれる技法です。
色を混ぜないぶん、キャンバスの上で見る人の目のなかで色が混ざり合い、光がきらめくような効果が生まれます。この手法こそ、印象派の出発点とされているものです。
面白いのは、同じ場所・同じ日に描いても、2人が見ていたものが違ったことです。
モネは水面のきらめきや光そのものに目を向け、ルノワールは水辺に集まった人々の様子に目を向けていました。
同じ景色から、モネは「光の画家」への道を、ルノワールは「人を描く画家」への道を、それぞれ歩き始めたのかもしれません。
この対比を知ってから、わたしは2人の絵の違いが、以前よりずっとくっきり見えるようになりました。
モネのほうについては、クロード・モネってどんな画家?という記事に書いたので、よかったら合わせて読んでみてください。
モネとの違いは分かっても、ほかの画家との見分け方までは、わたしもずっと曖昧なままでした。
7人の見分け方をまとめた記事も、よかったらどうぞ。
代表作5点でたどるルノワール
ここからは、代表作を5点、時代を追って紹介します。「解説」というより、「どこを見ると面白いか」を中心に書いてみます。
《ラ・グルヌイエールにて》(1869年)

先ほど紹介した、モネと並んで描いた一枚です。
筆触分割が形になっていった時期の絵なのだと思って見ると、水面のちらちらとした筆の跡ひとつひとつが、急に愛おしく見えてきます。
《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》(1876年・オルセー美術館蔵)

わたしが足を止めた、思い入れのある一枚です。
木漏れ日が、踊る人たちの服の上に落ちて、青や紫の小さな斑点になっているのが見えるはずです。
日差しそのものではなく、日差しが人の肌や服にあたった瞬間を描いている、というのが、この絵の面白いところだと思います。
《舟遊びをする人々の昼食》(1880〜81年・フィリップス・コレクション蔵、アメリカ・ワシントンの美術館)

セーヌ川のテラスで、仲間たちが食事をしながらくつろぐ様子を描いた一枚です。
手前で小さな犬を抱いている女性は、のちにルノワールの妻となるアリーヌ・シャリゴだと言われています。
にぎやかな食卓の空気ごと切り取ったような絵です。テーブルを囲む顔ぶれの近さに、わたしは思わずその輪に入りたくなりました。
《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》(1880年)
少女をモデルにした肖像画です。
栗色の豊かな髪が、光を受けて何色にも見える——そこに気づくと、自然と足が止まる一枚だと思います。
少女らしいあどけなさの中に、どこか大人びたまなざしが同居していて、じっと見つめられているような気持ちになります。図版で眺めているだけでも、なかなか目を離せません。
晩年の《浴女たち》
ルノワールは晩年、関節リウマチによって手が変形してしまうほどの症状に悩まされながらも、絵を描き続けました。
《浴女たち》は、そんな中でたどり着いた、最後の到達点ともいえる作品です。手の自由がきかなくなってもなお筆を動かし続けた。
そう知ってから見ると、丸みを帯びた体の線の一つひとつが、少し違って見えます。いつか実物の前に立ってみたい一枚です。
「かわいい絵」で終わらせない、3つの見かた

最後に、ルノワールの絵をもう少し深く楽しむための、3つの見かたを紹介します。
1点目は、絵の中の人の輪に、自分を混ぜてみること。
《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》なら、自分もあの輪の中で誰かと話している、くらいの気持ちで眺めてみると、絵の見え方が変わってきます。
2点目は、木漏れ日——光の粒を探してみること。
ルノワールの絵には、直接的な太陽の光ではなく、何かを通り抜けてきた光の粒があちこちに散らばっています。それを探す遊びは、意外と夢中になれます。
3点目は、「迷った時期」を知って観ること。
ルノワールは1881年にイタリアを旅した際、ルネサンスの画家ラファエロの絵や、古代ローマの遺跡に残るポンペイの壁画に強く感銘を受けました。
そして、それまでの印象派らしいぼんやりとした輪郭に、行き詰まりを感じるようになります。
1880年代半ばには、輪郭線のはっきりした、かたい描き方の絵を描いていた時期がありました。
わたしはこれを知ったとき、少しほっとしました。
「幸福だけを描いた画家」というのは、生まれつき何の迷いもなくそうだったわけではないのだと思います。
迷ったり、痛みを抱えたりしながら、それでも幸福を描くことを選び取っていった結果なのだと思うと、あの明るい絵たちが、また違う重みを持って迫ってきます。
日本でルノワールに会える場所

日本国内にも、ルノワールの作品を所蔵している美術館はいくつかあります。
国立西洋美術館(東京・上野)、ポーラ美術館(箱根)、ひろしま美術館(広島)などが代表的です。
ただし、常設展示は展示替えが行われることがあります。
お目当ての作品がある場合は、念のため、出かける前に公式サイトで展示状況を確認しておくと安心です。
まずは一枚だけ、立ち止まってみる

ルノワールについて、知識ゼロの状態から少しだけ深く知ってみると、あの「かわいい絵」の印象の奥に、修行時代の手仕事や、仲間との夏の記憶、迷いながらも幸福を選び取っていった時間が重なっていることに気づかされます。
難しいことを全部覚える必要はありません。
今度、ルノワールの絵の前に立つ機会があったら、まずは気になった一枚の前で、少しだけ足を止めてみてください。
それだけで、絵の見え方はきっと変わってくるはずです。
わたし自身、《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》の前で立ち止まった数分間があったから、こうしてルノワールのことを調べてみようと思えました。
次の週末、ふらっと美術館に足を運んでみるのもいいかもしれません。
一人で美術館に出かけることに、まだ少し勇気がいるという方は、一人美術館の記事も参考にしてみてください。

