美術館で印象派の絵を観て、わたしはすっかり好きになりました。
明るい色彩と、やわらかな筆づかいに、気持ちがふっとゆるむ感じがしました。
それからというもの、印象派の展覧会があると聞くと、つい足を運んでしまいます。
でも、好きな理由をうまく言葉にできたことは、あまりありませんでした。
「印象派の何がすごいの?」と聞かれると、答えに詰まってしまうんです。
好きだけど、なぜ好きなのか、言葉にするのは難しい。
そのもどかしさ、感じたことはありませんか。
この記事では、そんな自分への答え合わせのつもりで、印象派について整理してみました。代表的な画家7人の見分け方も、まとめています。
印象派とは?その名前は、悪口から始まりました

印象派という名前は、実は褒め言葉として生まれたわけではありません。
1874年、パリで開かれた第1回展がはじまりでした。会場は、写真家ナダールの旧アトリエでした。
そこに出品されていたのが、モネの『印象、日の出』(1872年)です。
この絵を見た批評家ルイ・ルロワが、風刺新聞『ル・シャリヴァリ』で、皮肉を書きました。
その記事から、「印象派」という呼び名が広まっていきます。
つまり、もとは酷評から生まれた呼び方だったんです。
当時は、それくらい理解されにくい絵だったということでもあります。詳しくなくて当然、というところから、この記事もはじめたいと思います。
では、何がそんなにすごいのか

印象派のすごさは、いったい何だったのでしょうか?
それまでの絵画は、神話や歴史など、意味のある場面を描くことが重視されていました。
印象派は、そうした意味よりも、目に映る光そのものを大切にしたんです。
ひとつめは、外に出て描いたことです。それまでの絵は、アトリエの中で仕上げるのが普通でした。
それを後押ししたのが、金属チューブ入りの絵具の普及でした。絵具を持ち歩けるようになったことで、外の景色をその場で描けるようになったんです。
ふたつめは、影の描き方です。影を黒ではなく、青や紫などの色で描くようになりました。
ただし、ルノワールのように、黒を使い続けた画家もいます。
そして、いちばんの核が、印象派が描いたのは、「もの」そのものではなく、その瞬間の光だったということです。
同じ景色でも、朝と夕方では、まったく違う色に見えます。その、うつろっていく光を、絵の中に閉じ込めようとしたんです。
ここまで読むと、「なぜ好きなのか」を、少しだけ言葉にできる気がしませんか?
絵の前で使える、印象派の見分け方3つ

画家の名前が分からなくても、印象派の絵には共通した特徴があります。美術館で、次の3つを探してみてください。
- 輪郭が、くっきりしていない
- 影に、黒以外の色がついている
- 筆のあとが、絵の表面に残っている
この3つが見つかれば、それは印象派の絵である可能性が高いです。
画家の名前を覚えていなくても、大丈夫。
難しい美術史の知識がなくても、目で確かめられる特徴です。慣れてくると、遠くからでも「印象派っぽい」と分かるようになります。
まずは、この3つだけ探しに行ってみませんか。
代表画家7人の見分け方
ここからは、代表的な画家を7人、紹介します。とはいえ、全部を覚える必要はありません。気になった画家だけ、頭の片隅に置いておけば十分です。
クロード・モネ

印象派といえば、まず名前が挙がるのがクロード・モネです。モネの絵の特徴は、同じ場所を、何度も繰り返し描いたことです。
積みわら、ルーアン大聖堂、睡蓮。同じ対象を、時間帯や季節を変えて、何枚も描き続けました。
モネについては、モネの生涯を追った記事にまとめています。
ピエール=オーギュスト・ルノワール

ピエール=オーギュスト・ルノワールの絵は、ふわっと明るい印象が特徴です。画面に、女性が描かれていることが多いのも、目印のひとつ。
代表作には、『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』や『舟遊びの人々の昼食』があります。
ルノワールについては、生涯と代表作をまとめた記事もどうぞ。
エドガー・ドガ

エドガー・ドガは、印象派展のほとんどの回に参加しました。でも、実は外で描かない画家でした。
好んで描いたのは、踊り子や浴女、競馬といった室内や身近な題材です。構図も独特で、人物が画面の端で切れていることがあります。
ドガについては、なぜ踊り子ばかり描いたのかをまとめた記事もどうぞ。
ベルト・モリゾ

印象派には、女性の画家は多くありませんでした。そのなかで数少ないメンバーのひとりが、ベルト・モリゾです。
描いたのは、家庭の中で過ごす女性たちの姿。モリゾは、画家マネの弟ウジェーヌ・マネと結婚しています。
カミーユ・ピサロ
印象派展は、1874年から1886年まで、計8回開かれました。この全8回すべてに出品したのは、ピサロひとりだけです。
仲間からも慕われていた、年長の存在でした。描いたのは、農村の風景やパリの通りです。
アルフレッド・シスレー

アルフレッド・シスレーは、生涯のほとんどを、風景画に費やしました。
画面の上半分を、空が大きく占める構図が特徴です。雪や洪水など、静かな風景を描いた作品も知られています。
ポール・セザンヌ
ポール・セザンヌは、印象派展に、第1回と第3回だけ出品しました。その後、印象派からは離れていきます。
セザンヌは、のちにゴッホやゴーギャンと同じ「ポスト印象派」に数えられることもある画家です。
描き続けたのは、りんごの静物と、サント=ヴィクトワール山でした。のちに、「近代絵画の父」と呼ばれるようになります。
セザンヌについては、印象派なのかどうかをまとめた記事もどうぞ。
「これって印象派?」まぎらわしい人たち

ここからは、印象派とまぎらわしい画家たちを、整理しておきます。
正直に言うと、わたしは長いあいだ、ゴッホは印象派だと思っていました。
実際には、ゴッホやゴーギャンは、「ポスト印象派」(後期印象派)と呼ばれる、少しあとの世代です。
ゴッホがパリに出たのは1886年で、これは最後の印象派展が開かれた年にあたります。世代としては、ほぼ入れ替わるように登場したイメージです。
ゴッホについては、生涯と名画をまとめた記事もどうぞ。
もうひとつ、まぎらわしいのが点描の画家たちです。
スーラやシニャックは、「新印象派」と呼ばれ、色を混ぜずに点で置いていく描き方をします。

わたしの見立てでは、シニャックのほうが、点がひとまわり大きい印象があります。
スーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』は、1886年の第8回印象派展に出品されました。
エドゥアール・マネも、よく混同される名前です。実はマネは、印象派展には一度も出品していません。
サロン(官展)での評価に、最後までこだわり続けた画家でした。
『草上の昼食』や『オランピア』は、当時、大きな物議をかもしました。それでも、若い画家たちにとっては、旗手のような存在だったんです。
そして、ウジェーヌ・ブーダンは、モネの師匠にあたる画家です。外で描くことをモネに教えたのが、ブーダンでした。第1回印象派展にも、参加しています。
ブーダンについては、ブーダン展に行った感想に書いています。
こうして並べてみると、時代がゆるやかに移り変わっていったことが分かります。
最初の一歩は、この3つから

ここまで読んで、「もう少し知りたいな」と思った方に、3つだけ提案があります。
ひとつめは、本から入る方法です。
原田マハさんの『ジヴェルニーの食卓』は、いろんな印象派の画家が登場するので、読み物として楽しめます。
ふたつめは、画家からひとりだけ選ぶなら、モネがとっつきやすいと思います。特別展が開かれる回数も多く、出会いやすい画家だからです。
みっつめは、美術館では、1枚だけをじっくり眺めてみることです。
全部を理解しようとしなくていい、という話は一人美術館のすすめにも書いています。
常設展で印象派の作品をじっくり観たいなら、山形美術館もおすすめです。ただ、アクセスの面では、正直、万人におすすめしやすい場所ではありません。
実際に訪れた記録は山形美術館で印象派を独り占めに書きました。
どれも、身構えずに始められることばかりです。好きだから、で十分だと思います。そのうえで、少しだけ理由を知っていると、絵を観る時間が、もっと好きになるはずです。
次に美術館へ行くときは、ぜひ、この記事のどれかひとつを、思い出してみてください。

