ゴッホ《花咲くアーモンドの木の枝》は誰のための絵?水色の空に咲いた、贈り物の一枚

画家とその人生

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水色の空に、白い花の枝がのびている。ゴッホの絵、と言われて思い浮かぶ渦を巻く夜空やひまわりとは、ずいぶん印象が違います。

グッズやSNSでこの一枚を見かけて、「これも同じ人が描いたの?」と引っかかった方は、きっと少なくないはずです。

先に答えを書きます。この《花咲くアーモンドの木の枝》は、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890年)が、生まれたばかりの甥への贈り物として描いた絵です。

暗い画家というイメージのゴッホが、なぜこんなに優しい絵を描けたのか。

その理由は、この絵ができた事情をたどると見えてきます。

《花咲くアーモンドの木の枝》とは、どんな絵か

ゴッホ 花咲くアーモンドの木の枝

この絵が描かれたのは1890年2月。フランス南部のサン=レミ=ド=プロヴァンスで生まれた一枚です。

このころのゴッホは、サン=レミ=ド=プロヴァンスの療養院にいました。

1889年5月に自分の意思で入り、絵を描きながら過ごしていた時期です。

画材は油彩・カンヴァスで、大きさは73.3 × 92.4 cm。いまはアムステルダムのファン・ゴッホ美術館にあります。

「青い空を背にした、白いアーモンドの花の大きな枝」

ゴッホは母への手紙で、この絵をそう説明しました。

花や空そのものより、まず大きな枝が目に入ってきます。本人の言葉からは、そんな絵の姿が浮かんできます。

この絵は、生まれたばかりの甥への贈り物だった

屋外で絵を描く男性

きっかけは、パリの弟テオが書いた一通の手紙でした。

1890年1月31日、弟テオに息子が生まれた

1890年1月31日、パリの弟テオが、息子が生まれたことを手紙で知らせました。ゴッホにとって甥にあたる子です。

生まれた子にはフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホという名がつけられました。伯父、つまりゴッホと同じ名前です。

「すぐに描き始めた」— ゴッホ自身の手紙から

そのことにゴッホがどう応えたかは、母アンナへの手紙に残っています。1890年2月19日、サン=レミから送った書簡855です。

日本語にすると、こんな内容です。

あの子には自分の名より、父の名をつけてほしかった。このごろ、父のことをよく思い出すから。

でも、もう決まったこと。だからさっそく、あの子のための絵を描きはじめた。ふたりの寝室に掛けるための絵を。

“I’d much rather that he’d called his boy after Pa, whom I’ve thought about so often these days, than after me, but anyway, as it’s been done now I started right away to make a painting for him, to hang in their bedroom. Large branches of white almond blossom against a blue sky.”

目を引くのは、「自分の名より、父の名をつけてほしかった」と書いているところです。

誕生の喜びを言葉にする前に、まず父のことを思い出しているのです。

生まれた子への最初の贈り物を、ゴッホは絵にしようとしました。

この絵のやわらかさは、そこから来ているのだと思います。

ゴッホという画家の人生については、こちらの記事で詳しく解説しています。

なぜ、アーモンドの木だったのか

アーモンドの花

わたしなら、まずこの木の咲く時期に目を向けます。

アーモンドの木は、2月という早い時期に花を咲かせ、春の訪れを告げる木です。

だからゴッホは、この木を新しい命の象徴として選びました。

花の咲く枝を青空に配した構図は、ゴッホがくり返し描いてきた好みの主題でもありました。

甥のための一枚は、彼がずっと描きたかったものと、ちょうど重なっていたのです。

水色の空と、太い輪郭線。日本の版画から借りたもの

浮世絵

この絵を見て「ゴッホらしくない」と感じるなら、その理由のひとつは日本の版画の影響かもしれません。

ファン・ゴッホ美術館は、ゴッホがこの絵で日本の版画から借りたものを3つ挙げています。

主題・太い輪郭線・木の配置の3点です。

花の咲く枝を大きく描く主題、輪郭をはっきりとなぞる線、そして画面のどこに木を置くか。

浮世絵になじみのある目には、どこか見覚えのある絵に映るはずです。

わたしがこの3点でいちばん腑に落ちるのは、木の配置です。

枝を画面のどこに据えるか——そこに版画を見ていたと思うと、水色の空の大胆さにも納得がいきます。

この明るい絵を描いている最中に、ゴッホは倒れていた

ゴッホはこの絵を描いている最中に、病に倒れています。

1890年4月29日、テオに宛てた書簡863で、ゴッホはこう振り返ります。

アーモンドの花を描いていた、ちょうどそのころ自分は病に倒れた。もし仕事を続けられていたら、花の咲く木をほかにも描いていただろう——。

“I fell ill at the time I was doing the almond-tree blossoms. If I’d been able to continue working, you can judge from that that I would have done others of the trees in blossom.”

同じ手紙で、ゴッホは約2か月のあいだ仕事ができなかったとも書いています。明るい絵のすぐあとで、筆は長く止まっていました。

テオからの返事も残っています。届いた絵のなかに「とても、とても美しいものがある」と、弟は書きました。

ただし、この言葉は届いた作品のまとまり全体に向けたものです。

アーモンドの絵についてテオが書いたのは、「この主題をまだ描き尽くしていないことが分かる」という趣旨でした。

1890年5月、ゴッホは療養院を出て、オーヴェール=シュル=オワーズへ移ります。そして7月末に世を去りました。

この一枚が描かれたのは、ゴッホが亡くなるおよそ5か月前のことになります。

あわせて読みたい。

絵を贈られた赤ん坊が、のちに美術館をつくった

ゴッホのひまわりをみている男女の後ろ姿

贈り物を受け取った甥、フィンセント・ウィレムは、1978年まで生きました。

彼は機械工学を学び、技術者としてフランス、アメリカ、日本で働きました。伯父と同じ名前のため、「エンジニア」と呼ばれました。

1962年、オランダ政府の提案を受け、コレクションが散り散りにならないよう、すべてがフィンセント・ファン・ゴッホ財団に託されます。

そして1973年、アムステルダムにファン・ゴッホ美術館が開館しました。

生まれたときに贈られた一枚は、いま、その美術館にあります。

伯父から甥へ、甥から美術館へと、この絵は受け継がれてきました。

本屋さんの棚で、この絵に会っているかもしれない

本棚に向かい合ってる女性

美術館に行かなくても、この絵を目にしている人はいます。

原田マハさんの『独立記念日』、そのPHP文芸文庫版の表紙に、《花咲くアーモンドの木の枝》が使われているのです。

『独立記念日』は、原田マハさんの連作短編集です。

単行本のときは『インディペンデンス・デイ』という書名で、文庫になるときに改題されました。

書店の文芸文庫の棚で、水色の空にふと目がとまる。そんなかたちで、この絵と最初に出会っている人もいるはずです。

『独立記念日』の感想は、こちらに書いています。

この絵に会う日のために

絵を観ている女性

《花咲くアーモンドの木の枝》は、ゴッホが甥の誕生を祝って描いた、贈り物の一枚です。

ひまわりや、渦を巻く夜空。そんなイメージのゴッホにも、こんなにまっすぐで優しい絵がある。

まずはそれだけ、覚えて帰ってもらえたらうれしいです。

いつかファン・ゴッホ美術館で、あるいは展覧会でこの絵に会えたら。水色の空と白い花を見るのはもちろんです。

そのうえで、画面全体の明るさや、これを描いていたときのゴッホの気持ちにまで思いを寄せて観てみたい。わたしは、そんなふうに思っています。

この絵が誰のために描かれたのかを知っていると、同じ水色でも、少し違って見えてくるはずです。

あわせて読みたい本

本を読んでいる女性

ゴッホと、弟のテオを描いた原田マハさんの小説です。

気になった方はこちらからどうぞ。

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