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展覧会のポスターや、美術の教科書。どこかで日傘をさした女性の絵を見た記憶はありませんか?
空を背にして、日傘をさした女性が立っている、あの絵です。
その絵を描いたのがクロード・モネだ、というところまでは知っている人も多いと思います。
ただ、「日傘をさす女」と検索してみると、少し不思議なことが起こります。
似ているけれど違う絵が、何枚も出てくるんです。
実は今年の春、そのうちの一枚を観てきました。目を奪われる絵でしたが、ひとつだけ、疑問が残ったんです。
美術に詳しくなくても大丈夫です。わたしも専門家ではありません。
この記事では、この絵が何枚あって、誰が描かれているのかを、順番にほどいていきます。
「日傘をさす女」と呼ばれる絵は、ひとつではありません

「日傘をさす女」と呼ばれる絵は、大きく分けて2種類あります。点数でいうと、全部で3点です。
1点は1875年に描かれたもの。モデルはモネの妻カミーユと、その息子です。
1983年に寄贈されて、いまはワシントンのナショナル・ギャラリーにあります。
残りの2点は、それから10年ほどのちの1886年に描かれたもの。
右を向いた女性と、左を向いた女性の対になっていて、モデルはスザンヌという女性です。
どちらもパリのオルセー美術館にあります。
3点に共通しているのは、構図です。どれも日傘をさす女性を、下から見上げるように描いています。
1886年の2点は、1875年の絵をもう一度描き直したものなんです。
1875年の一枚 ―― 妻カミーユと、風の午後
描かれているのは、モネの妻と息子
1875年の《散歩、日傘をさす女性》に描かれているのは、モネの最初の妻カミーユと、長男のジャンです。ジャンはこのとき7歳ごろでした。
この絵は《ラ・プロムナード》、つまり「散歩」という名でも呼ばれます。
タイトルのとおり、よそいきの一枚ではありません。散歩の途中の、なんでもない場面です。
場所はパリ郊外のアルジャントゥイユ。モネ一家は1871年からこの町に住んでいました。この絵は屋外で、日の光の下で描かれています。
この絵は1876年の第2回印象派展に出品され、好評を得ました。
屋外での一度の制作で、一気に描き上げられたと伝わっています。
見上げる構図と、顔を横切る白い線
ナショナル・ギャラリーの解説を読むと、見どころが具体的に書かれています。
まず視点がとても低いこと。カミーユは丘の上に立ち、その背景はほとんど空だけです。
逆光になっていて、日傘の上面と背中の布が白く輝いています。
足元の野の花の色が照り返して、体の正面をうっすら黄色く染めています。
おもしろいのは、カミーユの顔の上を横切る白い線です。
これは風にゆれるヴェールを描いたものだそうです。花とドレスも、そろって左へなびいています。草の上には、彼女の長い影がななめに伸びています。
少し後ろに立つジャンは、草に脚を隠されて立っています。主役はあくまで、日傘のカミーユです。
わたしなら、この絵はまず足元の影から見ます。
顔立ちがはっきりしないぶん、影と風の描写に目がいくからです。
1886年の二枚 ―― 顔のない「日傘をさす女性」

モデルは、同じ家で暮らしていたスザンヌ
カミーユは1879年に、32歳で亡くなりました。モネと結婚したのは1870年です。
体調を崩したのは1875年ごろからで、死因は骨盤の癌とみられています。
彼女は、生きているあいだも何度もモネの絵に登場しています。着物姿の《ラ・ジャポネーズ》もそのひとつです。
そしてモネは、臨終のカミーユを《死の床のカミーユ》という絵にも描いています。妻の最後の姿まで、絵にしました。
その後、モネがよく描くようになったモデルがスザンヌ・オシュデです。
アリス・オシュデという女性の娘で、当時モネと同じ家で暮らしていました。
アリスとモネが正式に結婚するのは1892年です。1886年の時点では、スザンヌはまだ義理の娘ではありません。それでも、両家はひとつ屋根の下で暮らしていました。
1886年、モネはこのスザンヌを立たせて、右向きと左向きの2点を描きました。いまはどちらもオルセー美術館にあります。
大きさは各131×88cm。1875年の絵は100×81cmほどなので、ひとまわり大きい絵です。
スザンヌはこのあと、1892年にアメリカ人画家のセオドア・アール・バトラーと結婚し、1899年に亡くなりました。長い病の末のことでした。
なぜ、顔を描かなかったのか
この2点は、10年前の1875年の絵をなぞっています。主題も、下からのあおりも、逆光も、ほとんど同じです。
決定的に違うのは一点だけです。顔の造作がほとんど描かれていません。目も鼻も口も、はっきりしないんです。
今年の春に開かれた、アーティゾン美術館の「モネ没後100年 クロード・モネ ―風景への問いかけ」展。ここで、この右向きの一枚を観ました。
まず驚いたのは、色の複雑さです。
空も、洋服も、草原も、たくさんの色が重なって描かれています。
それがとてもきれいな色味で、画面全体が明るいんです。目を奪われて、草原を駆け抜ける風まで感じました。
それでも、ひとつ引っかかりました。
これだけ細かく色を重ねているのに、なぜ顔だけ、しっかり描いていないんだろう。
その答えらしきものは、タイトルのほうにありました。原題は「戸外の人物習作」。
モネはわざと個人の特徴を消して、人物ではなく光の習作(本番前の試し描き)にしていたんです。
同じ構図で顔だけを消すと、絵の主役が入れ替わります。「この人は誰か」から、「光と風がどう見えるか」へ。
あのとき風を感じたのは、たぶんそのせいです。
顔から目をそらされたぶん、わたしは草と空のほうを見ていたのだと思います。
三枚を、どう並べて見るか
3点は、ひとつの部屋にはありません

ここまでで気づいた方もいるかもしれません。この3点は、いま別々の場所にあります。ワシントンに1点、パリのオルセーに2点です。
同じモチーフの絵が、海をへだてて離れています。3点を一度に、同じ部屋で見比べることは、まずできません。
10年をへだてて描かれた絵は、置かれる場所まで遠く離れてしまいました。
わたしなりの見かた
モネは1890年ごろに戸外の人物画をやめ、積みわら、ルーアン大聖堂、睡蓮といった風景の連作へ向かいました。
1886年の日傘の2点は、その大きな人物画の、最後のほうにあたります。
10年前に描いた絵を、もう一度なぞる気持ちが、わたしにはまだ分かりません。
同じ構図を10年あけて描き直した画家を、どう受けとめればいいのか、迷っています。
わたしが想像するのは、こういうことです。モネは昔の絵をなぞりながら、関心を人から光へと移していきました。
同じ絵に見えて、見ているものが違います。そこが、この3点のいちばん静かなところです。
モネが人物から光へ関心を移していく道のりは、生涯をたどるとよく見えてきます。
原田マハさんの短編集『ジヴェルニーの食卓』は、表題作でモネの家庭を描いています。
ジヴェルニーでの暮らしが気になった方は、こちらからどうぞ。
まとめ

「日傘をさす女」は、1枚の絵の名前ではありません。
1875年のカミーユと息子が1点。1886年のスザンヌが2点で、こちらは顔がありません。
3点はいま、ワシントンとオルセーに分かれています。ひと部屋で見比べるのは、なかなか難しい絵たちです。
ひとつだけ覚えて帰るなら、これです。
顔がぼやけていたらスザンヌの1886年、顔があればカミーユの1875年。
わたしなら次に見かけたとき、まず顔から確かめます。


