本棚の同じ場所に、ずっと置きっぱなしだった本があります。
原田マハさんの『キネマの神様』。
何年か前に一度読んだはずなのに、内容はほとんど思い出せませんでした。
読み返したいと思いながら手が伸びずにいたのは、たぶん「もう読んだから」という油断だったのだと思います。
先日、ようやく開いてみたら、前に読んだときよりずっと深く刺さりました。
同じ本のはずなのに、こんなに違って見えるものなのかと驚きながら、久しぶりにページをめくった時間の話を、ネタバレなしで綴っていきます。
この本を読んでいちばん驚いたのは、映画をものすごく観たくなったことでした。
『キネマの神様』はどんな本?

原田マハさんの小説『キネマの神様』(文藝春秋)。
映画好きの父・ゴウちゃんと、その娘・歩を中心に物語が進みます。
長く勤めた会社を辞めることになった歩は、父がインターネットに書き始めた映画ブログ「キネマの神様」をきっかけに、思いがけない形で自分の道を見つけていくことになります。
父娘それぞれの視点から、映画への向き合い方が丁寧に描かれていくのも、この本の魅力のひとつです。
ここから先どうなっていくのかは、ぜひ本編で確かめてみてください。
原田マハさんの作品はこれまでにも何冊か読んできましたが(原田マハ作品ガイドにまとめています)、『キネマの神様』は二度目に読んで、一度目とは違う顔を見せてくれた一冊でした。
心に残った3つのこと
ゴウちゃんの映画評が、とにかくよかった

歩の父・ゴウちゃんの映画評は、まず言葉遣いからして独特な印象を受けました。
「小生」「〜であります」といった、一昔前を感じさせる言葉遣い。
そして何よりも、まっすぐで素直で、心の底からそう思っているという感じが伝わってきて、読んでいてとても心地よかったです。
そして、ゴウちゃんの文章を読んで、映画をすごく観たくなりました。
作品そのものよりも先に、それを語る人の言葉に動かされる読書体験は、わたしにとって新鮮なものでした。
そして、ネットの向こうにいる「ローズ・バッド」という人との友情にも、胸が熱くなりました。
お互いのことをライバル視しつつ、お互いの考え方を尊重している間柄。
返信が少し遅れただけで、なにか気に障ることをしてしまったかなと相手を気づかう様子が伝わってきて、顔も名前も知らない相手にも、これほど誠実な関係が結べるのだと感じ入りました。
最後は、正直ベタだと分かっていながらも、分かっていてなお感動してしまいました。
ここまで積み重ねてきた登場人物たちの気持ちを見てきたからこそ、王道の展開もまっすぐ受け止められたのだと思います。
「肩書きを失った自分」に、途方に暮れる歩

物語の冒頭、歩は、長く勤めた会社を辞めることになります。
40代を目前にして、それなりのキャリアを積んできたはずなのに、意外なほどあっさりと、居場所を手放すことになってしまいます。
「どこにも所属していない自分。肩書きを失った自分。行き場所のない自分。」(原田マハ『キネマの神様』より)という一文に、わたしは立ち止まりました。
先が見えず途方に暮れる歩の姿は、他人事とは思えませんでした。
仕事について考えさせられた本といえば、以前紹介した『風のマジム』もそうでしたが、歩の場合はまだ何も始まっていない、揺れているさなかの物語です。
きっといつかわたしも、同じように立ち止まる日が来ると思います。
そのときはこの本を読み返して、歩から勇気をもらいたいです。
自分で選んだ道なら、どうにかなるはずだと思わせてもらえました。
清音との約束|会社を辞めても、続いていく関係
清音は、歩の元同僚だった後輩です。
試写会で再会した二人が、いつかお父さんや大切な人も一緒に、一番好きな映画を観ようと約束するシーンがよかったです。
二人のあいだにある映画への愛情と、仕事への情熱が、そのままこちらの胸にも伝わってくるようでした。
会社を辞めたあとも、こうして映画の話で盛り上がれる相手と付き合いを続けられるのは、歩は幸せだなと思いました。
仕事を離れると人とのつながりも一緒に切れてしまうことが多いだけに、なかなかできることではないよなと、しみじみ感じました。
仕事への向き合い方という意味では、映画『プラダを着た悪魔』について書いたこちらの記事でも似たようなことを考えていました。
読んだあとの小さな変化
名画座で、映画の世界に浸りたい

大学生のころは、早稲田松竹によく通っていました。
読み終えてから、また名画座に足を運びたい気持ちが芽生えてきました。
一人でも、大切な人とでも構いません。
こじんまりとした映画館で、そこのオーナーが選んだ組み合わせの作品を観て、しばらく映画の世界に浸ってみたいです。
まっさきに思い浮かんだのは物語にも登場する、『ニュー・シネマ・パラダイス』でした。
かなり昔に観たきりで、ほとんど覚えていないので、もう一度ゆっくり観直してみたいと思います。
こんな人におすすめ

映画が好きな人には、きっと心に残る一冊だと思います。
好きな作品について語りたくなる人ほど、ゴウちゃんの文章に自分を重ねてしまうかもしれません。
もうひとつ、ブログや文章を書くことが好きな人にも、そっとおすすめしたいです。
ゴウちゃんが自分の言葉で映画への愛を綴っていく姿は、こうして文章を書いているわたし自身にも、少し重なるところがありました。
誰かに向けて書くことの意味を、あらためて考えさせられる一冊です。
飾らない言葉でも、まっすぐな気持ちは伝わるのだと、教えてもらった気がします。
むすび

読み返してみて、歩やゴウちゃん、清音の言葉にもう一度触れられてよかったと思います。
原田マハさんの作品では、『総理の夫』でも肩書きやアイデンティティについて考えさせられました。
あわせて読んでいただけたら嬉しいです。
誰かの「好き」を読むと、その作品を観たくなることがあります。
ゴウちゃんの映画評は、まさにそういう文章でした。
わたしはさっそく、『ニュー・シネマ・パラダイス』を観直すつもりです。

